無為庵

読書メモ、アイデアの蔵。

【弓道日誌21 2021.4.12】

今日のまとめ

  • 取懸けで両肘を張り、その張りを保ったまま打ち起こす。
  • 縦の意識忘れずに。
  • 顔向け深く。
  • 打起しで腰が反り、弓の照る傾向が依然としてある。

 

縦の意識……それって目前心後の意識のことなのではないか、と昨夜思った。というのは、あまりにもスカイフックを意識しすぎると、背筋を無理に伸ばそうとして背中が反り、力んでしまうからだ。

でも、今の自分はそうなりやすい。特に打起しで、無意識的に胸を張ってしまう。いや、感覚的には、無意識的というよりも、生理的なものとさえ言える。こいつは手強い。

どうにか丹田を身体の中心に据え置いたまま、打起す手立てを模索せねば。

 

 

【弓道日誌20 2021.4.11】 自主研究:正しい姿勢と丹田

『疲れない体をつくる「和」の身体作法』に加え、『古武術で毎日がラクラク!疲れない、ケガしない「体の使い方」』を読んでいたら、色々学びがあったので、取り急ぎまとめるぞ。

 

きっかけ

そもそも、なぜ『疲れない体をつくる「和」の身体作法』を読みだしたかと言えば、近頃、弓道の稽古で"正しい丹田の感覚"という問題に直面したからであった。

"丹田"。臍下三寸ほどのところにあると言われる、とりあえず人間の"大切なもの"。名前を聞いたことのある人は、自分を含め周りにも沢山いただろうが、さて「丹田って何?」と聞かれたら、答えられた人がいかほどいただろうか。

自分自身も、大学で居合道をやっていたお陰で、腰や体幹を軸に動くということは、ある程度分かったつもりだったが、"丹田"については分からずじまいだった。特に、丹田を意識するというのは、こういうことで良いのか、自分の感覚を信頼できずにいる。

そんな中、とある雑誌の記事で(主題ではなかったが)"丹田"について取り上げられているのを目にし、そこに『身体能力を高める「和の所作」』が参考文献として掲載されていたのだ。しかも、私は過去に、同じ著者の手による『能に学ぶ「和」の呼吸法』を読んだことがあって、「なるほど」と思わせる内容だったのを覚えていた。

このタイミングの良さに「今しかない!」と感じ、書店へ直行。元々は『身体能力を高める「和の所作」』が目当てだったが、それよりも後に出版された『疲れない体をつくる「和」の身体作法』をメインの一冊とし、更に近くの棚にあったのを見つけた『古武術で毎日がラクラク!疲れない、ケガしない「体の使い方」』をサブの本として買ったのだった。

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2021.4.9 涙

今日は職場の先輩にご馳走になった。

端的に言うと、やっぱり仕事辞めにくくなるから、あまり行かないようにした方がいいかなぁと思ってしまった。

いや、元々はそう思っていたんだ。だけど、『幸せになる勇気』の、別れるその時までできる限りの信頼を寄せ、交友すべきという主張に感化された。ここ一年余りの自粛を破って、思い切って誘ってみたのも、それに後押しされてのことだった。

 

・・・人柄が、良すぎるんだよな。

スポーツマン気質とでも言えば良いのか。いつも朗らかで、些事を気にせず、日々の小さな喜びを見つけて前向きに生きようとする。ちょっと好き嫌いがはっきりし過ぎてるところはあるけど、誰かを傷つけるようなことはしないし、逆に誰からも愛されるような人。そして何よりも、程よい自信をもっていて、くよくよせず、アドラーの言う"まずは自分が相手に全幅の信頼を寄せる"ことを自然にやってのける。当然「自立」している。

学歴なんかは、自分の方が優れているみたいだけど、そんな物差しで計ろうなどという気になどならない。それを補ってあまりあるもの――いわば人間力――、俺にはない良いものを沢山もっている。

今まで俺の周りにはいなかったタイプの人だけど、信頼も尊敬もできる人だ。

オタク気質の俺とは、共通の話題が見事にないのが、マジで残念なところだよ。

 

で、そんな人を俺は、一年後あたりには裏切るわけだ。

こういうのを、断腸の思いって、いうんだろうな。想像しただけで、ここまで辛いものか。

多分、先輩は「そっか」とか言って笑顔で送り出してくれるんだろう。だけど、その笑顔の裏に、一体何があろうか。100%こちらの都合なのに、「自分のせいかもしれない」と思い悩ませてしまったら、こりゃあ切腹もんだろうよ。

 

あるいは、人を傷つけたくないのではなくて、人を傷つけることで自分が傷つくのが嫌なだけなのだろうか。一瞬そんな可能性が頭をよぎったけど、今回ばかりは違うような気がする。純粋に、裏切るのが辛い。悲しませたくない。まぁ、別れて悲しませるような存在にはなれていないがな、俺は。

いや、裏切るのは先輩ではなく、組織だ。そもそも、一人抜けたくらいでグラグラと揺らいでしまうような脆弱な状態を、何故放置しているのか。ってかなんで人事部だか、人事課だかがないんだよ。やる気あんのか?

・・・と、いつもであれば平気で下せる決断も、なんか、できない。この引き金が重い。

 

なんだか、すごく、人間らしくなった気分だ。

そして、俺は、その痛みに耐えられるのだろうか。

2021.4.8

気づいたことが二つ。

 

今年の新入社員と共に昼食を摂った。居合道経験者だったり、 古武道に関心があったりと、共通の話題があって、話が弾んだ。
  • 少し前、ずっと気分が沈みがちだった理由が分かったかもしれない。今の部署には会話がない。そもそも、気兼ねなく話せる人がわずかしかいない。その上、上司は、部下が雑談できるような雰囲気をつくらない(実のところ、今自分がいる部署は雰囲気が悪いことで有名になっているのだ)。更に、先月まで隔日出勤だった。そんな中、全く面識のない"偉い人"十名程度と会う機会が何度もあった……
  • 俺は人と会うのが嫌いなのではない(但し抑鬱傾向のときを除く)。ただ、気を遣わないといけない人間を相手にしたときの消耗が、普通の人より激しいようだ。最近は上記の理由でストレスフルな状態が続いた上、ケアが上手くできていなかったから、抑鬱傾向が強くなったのではないか。今日は、久々に、自分の好きな分野の話ができる楽しさを味わえて良かった。

 

『科学的な適職』を更に読み進めている。
  • 説得力のある指摘が続いてなかなか面白い。その中でも、"公平性に欠けると幸福度が減る"という話の一環で、"上司に振り回されることでも幸福度が下がる"という指摘に、とても共感した。というのも、近頃自分が実感していることと完全に一致していたのだ。
  • 抑鬱傾向が緩和された理由に説明がついたとはいえ、やはり今の職場環境は自分に合っているとは思えない。引き続き、慎重に転職を考えたい。

 

【弓道日誌19 2021.4.5】

 

  • 打起しから三分の二にかけて、馬手肘を高く大きく引く。

今日の指導の中心はこれ。打起しから馬手先は弦枕に任せ、とにかく裏的に向かって引分る。客観的に見ると、手首が力んで手繰り気味だ。

また、十分な距離を引分ると、馬手肩右下部分が使える感覚を得た。この状態をつくりだすのが、鎖骨あたりを平らにするということなのではないか。

 

それから、三重十文字も注意だ。これについては、芯コアと核コアの一致した立ち姿を追求することで、上手くできるようになりそう。

2021.4.5

『疲れない体をつくる「和」の身体作法』を三分の二くらい読み終えた。この時点で色々発見があった。

 

  • ゆっくりとした動きは、副交感神経を刺激して筋肉の過剰な緊張を和らげる。

大腰筋のような深層筋を活性化させるには、小さな動き、ゆっくりした動き、すなわちサトル・ムーブメントで行なうのが効果的です。 (p,190)

→体配や行射もせかせかするのは悪く、ゆったりした方がいいのも、実はこれに通ずるのではないか?

 

  • 能の「カマエ」は、手の親指と人差し指を意識的にくっつけておくことで、脳神経システムに訴え、身体の柔軟性や脳の力を向上させる。

→手の内の人差し指は、親指に付けなくても良いとのことだが、今度から付けてみようか。

 

  • 目前心後

→やってみよう。

2021.4.3

  1. 『疲れない体をつくる「和」の身体作法』を半分くらい読み終わった。
  2. 世阿弥の「初心忘るべからず」の知られざる真意に、合点がいった。「初心」とは、何か新たなことをする際に覚えた気持ち全般を言う。新しいことには恐怖や不安が付き物で、その過程で今までの自分から脱皮するわけだから苦痛も伴う。しかし、「初心」を大切にし、たえず過去の自分と決別していく姿勢(「時々の初心」)をもたねばならない。すなわち、「初心忘るべからず」。"絶えず「初心」を覚えるような生き方をする"ということなのだ(と自分は解釈した)。
  3. 「初心」とは、何か思い立ったときの「よし。やろう」という気持ちだと思う。しかし、その後に色々な心配事や不安が出てきて、「やっぱり止めよう」と躊躇ってしまう。そこで、初めの「よし。やろう」という気持ちを尊重し、奮って一歩を踏み出せ、という教えに、自分には聞こえた。また、常に歩みを止めない(自分を更新せよ)という教えは、丁度「アドラー心理学は哲学だ」という主張に似ている。