無為庵

読書メモ、アイデアの蔵。

2021.6.18

昨日は記憶が抜け落ちた。

火曜日あたりにやったことが、全く思い出せなかった。

 

今日は、会議の内容が全く頭に入らなかった。

おまけに、「時間があれば参加してほしい」と聞いていた外出に、余裕がなかったので行かなかったら、一言断らなかったことを叱られて萎えた。

しかし、問題は「下っ端の自分まで出れば、課に誰もいなくなってしまう。それはまずい」と本気で考えていたことだ。

そういう時は、隣の課が代わりに応対することになっている。それは分かりきったことなのに、「部屋を空けるのは良くない」と独断専行してしまった。

 

普通ならこんなことはしていない。確実に。

なのにしてしまった。

 

最近はこうした、自分でも説明のつかない判断を度々してしまっている。

そして、それが当たり前になってしまった。

 

普段なら、恐らく素直に前向きに受け入れられる叱責も、必要以上に傷つくようになった。

どんどん信用を失っている気がする。

2021.6.16 ゆるいつながり

『人生は20代で決まる 仕事・恋愛・将来設計』、2章まで読了せり。

 

ゆるいつながりは、あなたには見えていない、したがって未知のものを見えるようにしてくれる架け橋だと言えます。 p,71

新しい機会はたいてい、あなたのグループの外からやってきます。ゆるいつながりを利用しようとしない二〇代は後れをとります。 p,77

 

確かに、学生時代に関係の深かった知人の多くは、公務員や大学職員など、自分と似通った業界に進んでいる。

だから、たまにしか会わない人や、高校は一緒でも大学で違う進路を進んだ人の方が、真新しい情報をもっている可能性が高い。

そして、そうした「ゆるい関係」こそが、思わぬ活路を拓くことになるかもしれないという。

 

しかし、関係の希薄な人が助けてくれるのだろうか。

その疑問にも 答えてくれている。

結論から言えば、大抵は助けてくれる。

「フランクリン効果」。他方が親しみを示せば、もう一方もそれに応えるという心理的効果。これが発動する。

更に、利他的な行為は幸福感につながり、健康増進につながる。だから、たとえ相手が年上の働き盛りでも、臆することはないという。

 

ただし、まだこちらの進路が決まっていないような状態で、曖昧な質問をするのは相手にとって迷惑となる。

だから、下調べはきちんとし、「相手の関心事にあなたも関心を持っていることを見せる」べきだとも。

 

  1. 『人生は20代で決まる 仕事・恋愛・将来設計』2章読了。
  2. 自分と関係の浅い「ゆるいつながり」こそ、未来を切り拓く助けになる可能性が高いことを知った。
  3. たまにしか会えない友達、ゼミのOBOG、 あるいは自分の将来設計の参考になるキャリアのある"知らない人"などに、連絡をとってみよう。
  4. まずは、大まかな進路を決める。

 

 

そういえば、まだ学生だった頃、ゼミのOBOG会に参加したことがあった。自分の代は同期が十数名いたが、これに参加したのはゼミ長と自分だけだった。

当時は「人脈作りになるかも」程度の認識だったが、本当に役立つ時が来るかも知れない。

 

人間不信で社交性も低いから、知らない人に連絡をとるのはハードルが高いけど、今の行いが後で返ってくると 考えれば、苦しむのもアリか。

2021.6.15 怒号、「敵」

まだ少し手が震えてる。

 

今度は部長だよ。

こいつ宛に電話が入ったんだが、そのとき打合せ中だったので、先方には折返すと伝え、部長のデスクに書置きをしておいた。

少なくとも今の職場では、ごく当たり前のやり方だ。所定のメモ用紙に書くべきことを書いて、デスクに置く。今まで散々同じことをやってきたが、文句を言われたことなど一度もなかった。

 

しかし。

 

数分後、「△△(俺の苗字)!これはなんだ!」「折返すのか!」と、"攻撃"があった。"攻撃"だ。特に、最初の「△△!」なんて、まさに雷を落とすとも言うべき語気の強さ。しかもそれがゲリラで来る。刹那、心臓が痛む。

これに続くは、怒鳴るまであと一歩、というような刺々しい物言い。いや、もう怒号か。あたかもこちらが何か悪さでもしたかのような言い草だ。自分の文章力では伝わらないのが口惜しい。

 

「折返しお願いします」

「そんなことどこにも書いてないだろうが!」

「(いや、「折返し」っていうところにチェック入ってるだろ)」

「誰に(折返すん)だよ」

「("〇〇の××様"って初めに書いてあんだろ。そんで、その下の「折返し」欄にチェックしてあんだから、"××"さん以外に誰がいるんだよ) 〇〇の××さんです。」

「どこに折り返すんだ!」

「〇〇に折り返してください」

「どこに」

「〇〇に(何回同じこと聞くんだよ)」

 

 

雷雲は去る。

この不快極まりないやり取りの後、気づく。

恐怖と怒りのない混ぜになったような不快感に、速い鼓動。火照る身体。

「闘争か逃走か」。まさに、これのことを言うのだろう。

自分は、無理やりだがしかし、ほぼ本能的に闘争状態にさせられた訳だ。

この戦争のとき、自分の目は自ずと、このパワハラ前科ジジイを射抜いていたに違いない。目の周りが、自分でも滅多に体験しない力の入り方をしていたのを憶えている。本当にキレたときの睨みだ。

 

 

ちなみに、3ヶ月ほど前、このジジイのせいで心を病み、暫く休職した人が別の課に出た。組織が"調査"したようだが、パワハラ認定はされず。ジジイには厳重注意で終わった。

うちの"傀儡"や"バゼルギウス"など、年齢層の高い連中と、このクソジジイは"仲良し"だ。で、「あんなのはパワハラじゃないよな」「□□課の体制が問題だろ」とか語り合ってた。

だが第一に、ハラスメントはやられた側がハラスメントと感じたら成立するもんだし、それと□□課の体制は関係ない。□□課の体制がどうあれ、部下にどういった接し方をするかは、まるで別の話だ。

そして、お前らに対するジジイの態度と、30代以下の男性職員に対するそれは全く違う。ジジイは若い連中に威張りちらしては、怒鳴り散らす。立場の弱い人間にしか強く出られないクズだ。

端的に言って、"ごみ溜め"だろう。 この組織の"上"は。

 

 

――隣の先輩が、「『〇〇に』、じゃなくて『〇〇にお願いします』、でしょ?・・・聞こえてる?」と言った。

水中で会話をしているのではないか、と言うくらい、その声は曇って聞こえた。

「そうですね」

自分の口から出たのは、自分でも驚くくらい低い声だった。

 

その後、結局気持ちが落ちつかず、独り外へ出た。で、暫く行ったところにあるベンチに腰掛け、この記事を書いている。

 

 

このパワハラ前科ジジイを前にすると、どうしてこうなるのか。

それは屹度、長らく父親から"怒鳴られ殴られ表に出され"という、恐怖による"教育"を日常的に受けてきたからだと思う。こいつは、父親と同じ"におい"がある。

論理ではなく感情。

自分が気に入らなければ、とりあえず怒鳴る。周りの人間は、自分のためにいる。

自分の思い通りにいかなければ、とにかくキレる。相手を萎縮させて蹂躙する。

 

要するに、トラウマだ。

まだ"傀儡"あたりならば、なんとか工夫して制御してやろうという気にはなる。

しかし、こいつは違う。最早、本能レベルで嫌悪している。つまり、自分にとってこのジジイは「敵」だ。「絶対敵」だ。だからどうしようもない。

意識より先に体が反応してしまって、勝手に臨戦態勢に入る。これは努力でどうにかなるものではないと、直感が囁く。

 

まだ父親ならば家庭内の問題なので、反撃できる。

しかし、職場という環境は悉くジジイに味方する。こちらはただ殴られているしかない。

周りの人間も見て見ぬふり。ジジイは職場でもヤバい奴判定を食らっているらしいが、だからどうしたと威張りくさっている。

 

 

やはりこの職場は去るべきだ。

こんなストレスまみれでやりたいと思える仕事ではないし、自分の成長にも繋がらない。

こんな老害のお世話をするよりも、もっと有効な時間の使い方など山ほどある。

 

ちなみに、自分がデスクに戻ってなんとか作業を再開した後、暫くして先輩に呼び出された。

どうやら、傍目には「どうして"そんな"ことで、"そんな"になるのか」と不思議に思えるらしい。特に上層部が見たら、訝るだろうと。

俺が、どうもトラウマらしいと答えると、先輩は笑った。

そのときは「やっぱり分かってもらえないよな」とか「自分がおかしいのかな」とか思ったが、純粋に意外すぎる答えが返ってきて困ってしまったのだろう。

「あのジジイは気に入らないんで」とかいうならまだしも、「トラウマなんですよね・・・」とか言われたら、そりゃあ困るよ。

 

さて、今でこそ先輩はジジイのお気に入りだが、ジジイの前の前の部長にはよく叱られていたという。上司と同じことをしても、自分だけ叱られるという理不尽を体感していたとか。まさに、今の自分と同じ境遇だったらしい。

それでも、今は明るく自然体でやっているあたり、この人はよほど心が強いのだな、と思った。とても穏やかで優しい人だけど、大学では体育会系だったという話も聞くし。

 

しかし、残念なことに、最近は先輩と自分があまりにも人間のタイプが異なりすぎていて、色々感覚的に共有できないことが多いことに気づいてしまった。

かつて先輩は、「自分の親は教師で、のびのびと育った」と語っていた。

屹度・・・というか確実に、先輩は自己肯定感が高い。そして、ストレスを上手く受け流せる。周囲を味方にするのも上手い。世渡り上手だ。

しかし、俺は自己肯定感が低く、ストレスには真正面から直撃を食らい、おまけにトラウマ持ち。愛想は悪い。不器用。

あまりにも、違う。

 

だから、勿論気遣ってくれるのはありがたいし、迷惑をかけて申し訳ないと思うけど、自分にはこの組織は向いてないとも思うんだよね。

 

とりあえず、「自分の方が後に入ってきたのだから、辞めることも考えてます」とは伝えた。まぁ、このパワハラジジイ以前に、上席の問題もあるからね。

「一個人のせいで辞めるのは勿体ないよ。大体まだこの部署の醍醐味を味わえてない。せめてそれからでも」、

「辛ければ、パワハラ対策委員会に掛け合ったり、前にパワハラの被害にあった人に聞いたりしても良いと思う」と、

色々フォローしてくれたが、響かなかった。

 

 

2021.6.14

月曜の朝なのに、木曜日あたりの疲労感。

オマケに足も痛い。

ただでさえ、余裕がなくて疲れているのに、昨日は茨城県鹿島神宮まで出張だったのだ。朝5時に起きて夕方5時に東京へ戻ってきた。

 

帰りに、独り東京駅の「とんかつ寿々木」で食べた"今日のかつ丼"が、美味かった。

 

その前の日は、病院に行って、そのまま電車に乗って出張用の手土産を買いに行って、髪切って、と盛りだくさん。歩き倒した。

 

そんなわけで、この土日は休みとは言えなかった。

 

疲れてくると、通勤時間に本が読めなくなってくる、というのが、ここ最近の気づき。

で、今日はビジネス書を一旦置いて、『人生は20代で決まる 仕事・恋愛・将来設計』を読み始めた。

まだ序章しか読めてないが、"35歳までに人生の8割のイベントが終わり、20代における何でもない日々の選択が後々大きくなって返ってくる"、というのが、主な主張のようだ。

 

さて、職場に着いてみれば、何やら不穏な書置き。

先日送った文書が間違ったところに届いてしまったらしい。どうも、「商工会」宛の書類を「商工課」宛の封筒に、「商工課」宛の書類を「商工会」宛の封筒に入れたらしい。

で、先方から電話があったから、折り返すようにと。

 

そこで気づいた。自分が正常でないことに。

これは、木曜日どころではない。

 

というのも、ただの書類の誤送なのに、何故か何がどうなっているのか、状況を理解できない。

頭がボーッとするような……いや、普通のボーッとするのとは違う。

頭は一生懸命理解しようと動いている。でも、理解できない。思考回路が妙な熱をもっている。あるいは、容量が満タンで、処理落ち寸前のコンピュータとでも言おうか。うん?もう落ちてるのか?

とりあえず、少し理解が進んだかと思えば停滞して振り出しに戻るということを、恐らく30分は繰り返したのではないか。

 

目もおかしい。例の、"痛みなき徹夜明けの眼"だ。

おお、ダクソかなんかのアイテムか、サーヴァントの宝具みたいな名前になった。

さすがに先輩にも、明らかに疲れているように見えたらしく、無理やり水曜日に休みを入れさせられた。

優しい無理強い。しかしながらこれは、水曜日ではなく木曜日になりそうだ。昨日の出張を踏まえて打合せをやろうという、勧誘(指示)が上から来たからだ。

伝令役の頼りない上司は、「明日みんな空いてるから…(=明日やれと"傀儡"は仰せ)」とか言ってたが、そのために「外部との会議に向けて、決めるべきこと全てを書き出す」には、どう考えても今日一日では足りない。他に急務があるのだよ。

頭がイカれていた自分は、特に何も反論しなかったが、午後になって、どう考えても無理だと考え、今日は準備など何もしなかった。

 

あ、木曜日は接待に駆り出されるんだった。

でも、水曜日までに絶対に出さねばならない伝票があって、関係者みんなが書類の提出期限(今日)を守ってくれれば安牌だったが、その半数が期限を守らず、更にその半分には連絡さえつかず。かくて、あえなく安牌路線のフラグは折れたのだつた。

 

おおー、電車の中に蜘蛛がいるー。

(※この記事のほとんどは通勤中に書いてます)

 

 

さて、今日はこれだけでは終わらなかった。

元々再来週の土日は出勤だったのだが、なんとその後の月火でまた出張だとか言い出した。

もう唖然とした。この組織の管理職は、部下を管理する能力など問われないらしい。

先輩には、その前の水曜日あたりに休み取ればいいみたいなこと言われたけど、そんなタイミングで入れる休みなどあってないようなものだろう。

 

この課って、例年こんな感じなんですかね?

明日訊いてみよ。

 

嗚呼、今日も酒を呑んでしまった。

2021.6.7②

  1. 今の職場は、マルチタスクを強く求められると改めて実感した。
  2. 内向的であることを活かせる仕事が良いと思った。
  3. 内向的な人間に関する本を、1、2冊しか読んだことがなかったので、そちらを深掘りするのも手か。

 

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2021.6.7

気力が湧かないと良からぬことしか考えない。

 

やっぱりどこかで「こんなはずじゃなかった」と思う心がある。

散々自分を犠牲にしてきて(というより自分を否定し犠牲にすることが自分にとって当たり前だった)、その結果が、給料も安ければやりがいもない「団体」で、頭の悪い上席に振り回される日々。

勿論、いかなる過去があったとて、そうなったのは自分の問題。就活までに、「自分の人生は自力でどうにかなるものであり、逆に言えば自力以外では変えられない」という意識に目覚められなかったのは、自分の落ち度ではある。

しかし、数多あるハンデの中で、仮に喋るのが得意でなくとも、人への根強い恐怖感・不信感くらい、なくても良かったのではないか、と思ってしまう。

なんでそんな荷物を背負わされなくてはならなかったのか。それがないだけでも、もっと行動しやすかっただろうに。

普通なら何とも思わないような簡単なことにさえ、俺は恐怖やストレスを感じてしまうのである。

 

そして、これから自分の人生を変えていくと意気込んで、少しずつ進んでいるつもりだけど、そこには途方もない不安や焦りがある。

このまま、意気込みで終わってしまうのではないか。

どこかで選択を間違えて、今以上に惨めな人生を歩むことになるのではないか――。

 

こう、気が滅入るとやはり良くないね。

以前に比べれば、相当気が滅入ることもなくなったけども。