無為庵

読書メモ、アイデアの蔵。

帝政ローマの繁栄と衰退

 

 オクタウィアヌスによって実現された帝政ローマ。今日は、帝政開始から分裂までの凡そ400年間を簡単に追う。

 

1. 五賢帝の時代 "パクス=ロマーナ"

 初代皇帝オクタウィアヌスから第16代マルクス=アウレリウス=アントニヌスの時代は比較的治世が安定する。圧倒的な力をもつローマによって地中海地域一帯が支配されたことで、人々は「ローマの平和(パクス=ロマーナ)」と謳われる平和を享受し、季節風を利用した貿易を盛んに行った。特に、紀元1世紀末~2世紀後期までの5人の皇帝は「五賢帝」と言われるほどの名君が続いた。

  • 第12代ネルウァ帝(在96~98):老齢ながら即位、トラヤヌスを次期皇帝に指名したことが評価されている。
  • 第13代トラヤヌス帝(位98~117):ダキア(現ルーマニア)を手中におさめ、帝国最大の版図を築いた「攻め」の皇帝。
  • 第14代ハドリアヌス帝(位117~138):ゲルマン人や東方のパルティア人との戦いに明け暮れる。ブリタニアに長城を築くなど、「守り」の皇帝として知られる。
  • 第15代アントニヌス=ピウス帝(位138~161):その時代は、ローマ史上最も平和だったと言われる。
  • 第16代マルクス=アウレリウス=アントニヌス帝(位161~180):北方諸民族との戦争にその生涯を費やした。ストア派哲学を学び、『自省録』を著した。

 

2. 「三世紀の危機」

 アントニヌス帝を最後にローマの栄華は過去のものとなり、財政危機を背景として帝国は動揺し始める

 3世紀初頭のカラカラ帝は属州自由民全員にローマ市民権を与える代わりに増税を図るが、「ローマ史上最悪の暴君」と言われるほどの悪政を布き、部下に暗殺される。

 カラカラ帝暗殺後は、「人皇帝時代」(235~284)に突入する。これは、軍人出身の皇帝が続いた時代でローマ軍が皇帝の出処進退を決し、抗争や暗殺が相次いだ、まさに「危機」の時代であった。

 

3. 専制君主制へ 一次的な立て直し

 この人皇帝時代を終わらせたのが、ディオクレティアヌス(位284~305)である。彼は、皇帝を神として崇めさせ、絶対的権力者とすることで専制君主制を布いた。その点でキリスト教徒とは反りが合わず、キリスト教の大弾圧を挙行したことでも知られる。また、広大な帝国領を東西に二分した上でそれぞれに正帝・副帝をおく「四帝分治」を行い、ローマに再び安定をもたらすことに成功した。

 その次のコンスタンティヌス帝(位[正帝]310~337)は前皇帝の政策を引き継いだが、ミラノ勅令(313)でキリスト教を公認し、その力で国内の安定を図るよう方針を転換した。また、ビザンティウムコンスタンティノープル(現イスタンブール)と改め遷都することで、東方の統治を強化した。

 

4. 東西分裂

 ディオクレティアヌスコンスタンティヌスの両帝によって一時的に立て直したローマ帝国であったが、その後は俗に言う「ゲルマン人の大移動」が始まり、帝国内へのゲルマン人流入が強まる。

 こうした中に即位したテオドシウス帝(位379~395)は、西ローマ皇帝との戦いに勝利して再び帝国を統一する。その一方で、教義が増えて分派したキリスト教を整理し、アタナシウス派キリスト教を国教化した。そして、その臨終に際して帝国を東西に分けて二人の息子にそれぞれを割り当てたことで、ローマ帝国の東西分裂が確定した。

 

 その広大な領域に言語や宗教といった統一的な文化・文明を広げ、ヨーロッパ文化の祖となったローマ帝国の時代は、ここに終わる。

 

<参考>

山崎圭一(2018)『一度読んだら忘れない世界史の教科書』SBクリエイティブ

東京法令出版 教育事業推進部 『歴史風景館 世界史のミュージアム東京法令出版

・「世界史の窓」 https://www.y-history.net/appendix/wh0103-069.html

https://www.y-history.net/appendix/wh0601-009.html

https://www.y-history.net/appendix/wh0103-110.html