1. 統一から「多様化」へ
ギリシアやローマはヨーロッパに統一性を与え、各国の文化の下地となった。その一方で、4世紀後半の「ゲルマン人の大移動」に始まる「中世」はヨーロッパに「多様性」をもたらすことになる。というのは、大移動によって民族の移動や小規模な国家の分立が相次いだからである。
2. ゲルマン人の大移動 375~約200年間
ゲルマン人はアルプス山脈北方を中心に狩猟や牧畜を行っていた民族である。いつしか南はローマ帝国に接する地域にも分布するようになり、略奪をしたり平和的に帝国内に溶け込んだりしていた。
この状況を一変させたのが、「フン族」の移動である。4世紀後半、アジア系のフン族が突如東からゲルマン世界を圧迫し、ゲルマン人は蜘蛛の巣を散らしたように西欧各方面に移動を始めたのだ。それで、北西ヨーロッパの先住民であったケルト人やローマ人(ラテン人)を追いやり、各地に国家を築いた。「フランク族」や「アングロ=サクソン」などはゲルマン人である。
そして、この混乱の中、西ローマ帝国は滅亡する(476)。帝国の東西分裂から約150年後の出来事である。
そういえば、アーサー王伝説の舞台は大体このあたりの時期である。
3. 強豪・フランク王国
さて、西ローマ帝国無き後、西欧において圧倒的な勢力を誇ったのがフランク族による「フランク王国」である。西欧随一の穀倉地帯である現在のフランスのあたりを押さえたこの王国は、他のゲルマン系諸国が短命に終わる中、長きにわたって存続することとなる。
メロヴィング朝フランク王国 フランク王国の基盤を固めた王朝 481~751
西ローマ帝国滅亡から5年程で事実上の建国を果たしたのが、メロヴィング朝フランク王国である。メロヴィング家のクローヴィスによって建てられたこの王国は、周辺の民族を従えた上、アタナシウス派に改宗した(496)。元来ゲルマン人は異端とされたアリウス派であったが、クローヴィスがローマ帝国で正統とされた宗派に転向したことで、フランク王国の求心力が高まったのだ。
一方、メロヴィング家の相続は土地を兄弟で分割するという方法だったので、次第に王家の領地は減っていった。それで、宮宰と呼ばれる最高行政職が政治の実権を握るようになる。
中でも宮宰カール=マルテルは、イベリア半島を経由して進出してきたイスラーム勢力(ウマイヤ朝)をトゥール=ポワティエ間の戦い(732)で撃退したことで知られる。
カロリング朝フランク王国 キリスト教と合体 751~843
カール=マルテルは宮宰の地位に甘んじていたが、その子ピピンの代になると王権を奪取してカロリング朝を開く。ピピンは簒奪者の汚名を雪ぐため、キリスト教の権威を利用した。北イタリアのランゴバルトを破ってローマ教皇に土地を寄進する(756)ことで、フランク王の継承を認めさせたのである。これが、ローマ教皇領のルーツである。
さて、ピピンの子がカール大帝(位768~814)、またの名をシャルルマーニュと言い、「ヨーロッパ共同体の歴史的象徴」として認識されている。彼は東西南北全方位に向かって出征、あるいは他民族の侵攻を撃退し、西欧をほぼ全て手中に収めたのである。現在のドイツ・フランス・北イタリアを含む広大な土地を分割し、「伯」を置いて統治させた。「伯爵」の起源とされる。
このような活躍を見せたカール大帝に対し、ローマ教皇レオ3世は西ローマ皇帝の冠を与え、西ローマ帝国復活を宣言してキリスト教勢力の拡大を図った。この「カールの戴冠」(800)のとき、西ローマ帝国滅亡から300年以上もの星霜を経ていた。
王国の分裂 ~独・仏・伊の起源~ 870
カール大帝の築いた大王国。しかし、その権勢は長く続かなかった。大帝亡き後、孫の代になると互いに領地の奪い合いを始め、ヴェルダン条約(843)、次いでメルセン条約(870)によって王国を3つに分けてしまったのだ。
- 東フランク王国・・・ルートヴィヒ2世が継承するも早々にカロリング家は途絶え、諸侯の選挙で王が選ばれるようになる。中でもオットー1世(位936~973)のときに東方のマジャール人を破った功績で教皇から戴冠し、「神聖ローマ帝国」と呼ばれるようになる。現在のドイツのルーツである。
- 西フランク王国・・・シャルル2世が継承するもカロリング家は断絶。パリ伯ユーグ=カペーがカペー朝を開くが、政情は安定せず。現・フランスのルーツ。
- イタリア・・・カロリング家はすぐに断絶、諸勢力が割拠する状態になる。
メモ:シャルルマーニュが西のイスラム勢力との戦争の帰路、バスク人の襲撃を受けて殿軍が悉く討死したことがあった。その中にブルターニュ辺境伯ローランがいて、その活躍は「ローランの歌」として、著名な中世騎士道物語の列に伍した。ブルターニュはブリテンと語感が似ている通り、ブリテン系民族の地域であり、ローランが聖剣デュランタルを振るうなど、アーサー王伝説との類似点があるとか。古いブリテンの人はそういう話が好きだったんだね。
<参考>
・山崎圭一(2018)『一度読んだら忘れない世界史の教科書』SBクリエイティブ
・東京法令出版 教育事業推進部 『歴史風景館 世界史のミュージアム』 東京法令出版
・「世界史の窓」 https://www.y-history.net/appendix/wh0601-009.html