無為庵

読書メモ、アイデアの蔵。

十字軍

 

1. 十字軍 1096~1291

 

 十字軍は、11世紀末~13世紀末にかけて行われた、ヨーロッパ諸国の連合軍によるイスラーム勢力圏への遠征である。ローマ教皇の名の下、通常計7度派遣されたと言われ、中世ヨーロッパ社会に大きな影響を与えた。

 事の発端は、ビザンツ帝国からローマ教皇ウルバヌス2世への救援要請だった。東方のイスラーム国家セルジューク朝が強大化して帝国を圧迫、更にはキリスト教イスラム教の聖地・イェルサレムをも占領されてしまったのである。

 ウルバヌス2世はクレルモン宗教会議(1095)で西欧諸国に「聖地奪還」を訴え、フランス王国神聖ローマ帝国などの連合軍が「十字軍」として東方に向かった。この第一回十字軍(1096~1099)では、イェルサレムを奪還して王国を築くことに成功した

 

2. 十字軍――その後

 その後も十字軍は約200年の間に幾度も派遣されたが、次第にその様相が変化していく。特に第4回十字軍(1202~1204)は、ヴェネツィア商人に唆されてヴェネツィアのライバル都市であったコンスタンティノープルを攻撃、教皇の逆鱗に触れるところとなり、十字軍自体が破門になった。このように、当初は宗教的な大義名分で始まった行軍も、次第にその中身が変わっていったのである。

 そもそも唯一成功裡に終わった第一回十字軍でさえ、ローマ教皇叙任権闘争を有利にする目論見があったとされることから、各々の思惑が絡み合って成り立っていたと考えることもできる。

 

3. 十字軍のもたらしたもの

 さて、十字軍の副産物はヨーロッパ社会に様々な影響を与えた。

商業の発展

 まず、「商業の発展」である。十字軍の行軍路に街道が整備された上、付近の町で軍需品が取り引きされるようになったことで、商業が発展したのだ。中でも特にその恩恵を享けたのが北イタリアの諸都市である。港町のヴェネツィアジェノヴァ海上貿易、内陸のミラノフィレンツェは手工業などで栄え、これらはロンバルディア同盟と呼ばれる都市同盟を形成した。

その他では北ドイツのハンザ同盟(リューベックハンブルグブレーメン)やフランドル地方(北仏)などが大きく発展した。

 

カトリックの権威失墜

 次に、ローマ教皇カトリック教会の権威の失墜である。神の名の下で派遣された十字軍が2回目以降、敗北や失敗を繰り返したため、主導者であるローマ教皇は説得力を失ったのだ。

 それを象徴する出来事がアナーニ事件(1303)である。

 これはカペー朝フランス王フィリップ4世が、イギリスとの戦争の軍費調達として領内の聖職者に課税しようとしたところ、破門を通告してきたローマ教皇ボニファティウス8世を逆に捕縛・幽閉した事件だ。教皇は後に救い出されるが、屈辱から憤死したという。かつてのカノッサの屈辱とはうって代わって、世俗の国王にローマ教皇が敗れる形となった

 その後、フィリップ4世は、ローマ教皇にフランス人のクレメンス5世が選出されたことを利用して国内のアヴィニョン教皇庁を移し、カトリック教会を監視下におこうとした。この状態は以降70年ほど続き、「バビロン捕囚*1(1309)と呼ばれる。また、教皇を奪われたイタリアでは、フランスに対抗して別に教皇を立てたため、仏伊でその正統性を争う「教会大分裂」状態に突入する。

 こうした中、教会の権威回復を目指す運動が起こるが、当の教会側はこれを"批判"と受けとめて弾圧したため、教会は反感を買い宗教改革へと繋がっていく

 

 

メモ:ボニファティウス8世は傲慢な性格で知られ、前任のケネスティネス5世を唆して退位させた上で幽閉し、自らが教皇となった。5世以降、2013年までローマ教皇生前退位の例は途絶えることになる。

 

<参考>

山崎圭一(2018)『一度読んだら忘れない世界史の教科書』SBクリエイティブ

東京法令出版 教育事業推進部 『歴史風景館 世界史のミュージアム東京法令出版

・「世界史の窓」 https://www.y-history.net/appendix/wh0603_1-008.html#wh0603_1-013_1 

 

*1:旧約聖書においてユダヤ人が連れ去られた出来事。史実では、カルデアによってユダ王国が滅ぼされ、ユダヤ人が連行された