無為庵

読書メモ、アイデアの蔵。

中世後半の西欧諸国

 

 十字軍は失敗に終わったが、主君と家臣が揃って行軍したことでその連携は強まった。言わば「王国」らしくなったのだ。ここからは、王国らしくなった西欧諸国について説明する。

 

1.  イングランド王国

  ウィリアム1世に始まるノルマン朝は100年ほどで滅亡する。その後、血筋の関係で王家を継いだのがフランス王の家臣アンジュー伯ヘンリ2世だった。ここに、プランタジネット朝が始まる。ヘンリ2世は元々フランスに領地をもっていたので、イングランドはフランスの西半分をも併合することになった

 ヘンリ2世の子が「獅子心王リチャード1世である。彼は第3回十字軍に従軍し、独軍・仏軍が次々と戦線離脱していく中、イスラム勢力と戦い続けた猛者として知られている。

 

マグナ=カルタ

 さて、リチャード1世の跡を継いだのが、弟のジョン王である。彼は、失政に続いて、フランス王フィリップ2世との抗争に敗れて大陸にあった領地のほとんどを失った。更に、教皇から破門に処された上、国内に重税を課したことで民草からも見放される。

 そこで、貴族が団結し、王権の制限などを誓わせる「マグナ=カルタ*1(1215)を突きつけて王を縛った。これが、イギリス立憲主義の始まりと言われる。

 ちなみに、イギリス王家に「ジョン」という名をもつ人物は彼しかいない。それは、このジョン王の失政から、「ジョン」という名を避けるようになったからだとか。

 

 ジョン王に続くヘンリ3世は「マグナ=カルタ」を無視し、貴族に重税を課そうとした。そこで今度はプランタジネット朝に使える貴族シモン=ド=モンフォールらが、英国史上初の議会を開いて政治を議論することを王に認めさせた(シモン=ド=モンフォールの議会:1265)。

 その次のエドワード1世は、社会各層の代表による「模範議会」をつくり、議会と協調して政治を行った。この模範議会は、王権に対して比較的議会が強いという英国の議会政治の基となる。

 

2. フランス王国

 一方、フランスではユーグ=カペーに始まるカペー朝が存続していた。

 カペー朝の王権は弱かったが、第3回十字軍に従軍した「尊厳王」フィリップ2世イングランドジョン王から大陸の英領のほとんどを奪うと、王の威信が強まる

 その孫、ルイ9世は第6回・第7回十字軍の中心となり、イスラーム勢力と戦い続けたことで「聖王」の称号を与えられた。

 更にその孫の「端麗王」フィリップ4世は例のアナーニ事件を起こし、ローマ教皇に対して優位に立った。このとき、予め聖職者・貴族・平民の代表からなる三部会を開催して支持を得ていたことも、王位発揚に役立った

 

3. 百年戦争 1339~1453

 以上のような遍歴を経た英仏両王国が、中世ヨーロッパの覇権を争った戦。それが百年戦争(1339~1453)だ。この戦争は主に、

を巡って勃発したと言われている。

 特に、後者は開戦の直接的なきっかけとなった。カペー朝が断絶し、ヴァロワ家のフィリップがフランス王を継承しようとしたところ、カペー一門の母をもつイングランドエドワード3世が王位継承を主張し、宣戦布告したのである。

 

 戦争は、前半にイングランドが押すも、後半でフランスが押し返し、大陸内の英国領のほとんどを排除して終わる。特に、後半には神の声に導かれたというジャンヌ=ダルクの活躍でフランスが逆転した。ジャンヌは、内紛で窮地に立たされたシャルル7世をオルレアンで救ったが、パリの奪還に失敗。後に反シャルル派に捕縛されてイングランドに売り渡され、宗教裁判の末に異端と断じられて火刑に処された。

 

 一方、イングランドでは英国王位継承権を巡る内紛が続いた(バラ戦争:1455~1485)。その末、互いに争っていた、ランカスター家のヘンリ7世とヨーク家の娘が結婚するという形で決着がつき、テューダー朝が始まった。

 

 

<参考>

山崎圭一(2018)『一度読んだら忘れない世界史の教科書』SBクリエイティブ

東京法令出版 教育事業推進部 『歴史風景館 世界史のミュージアム東京法令出版

・「世界史の窓」 https://www.y-history.net/appendix/wh0603_2-007.html

         https://www.y-history.net/appendix/wh0603_2-012.html

         https://www.y-history.net/appendix/wh0603_2-037.html

 

*1:具体的には国王の徴税権の制限、教会の自由、都市の自由、不当な逮捕の禁止など