無為庵

読書メモ、アイデアの蔵。

中世後半の西欧諸国Ⅱ

 

1. スペイン・ポルトガル

 イベリア半島では、8世紀にウマイヤ朝の征服を許し、イスラーム勢力が支配権を握っていた。ただ、ウマイヤ朝は、キリスト教徒とユダヤ教徒を「啓典の民」とし、地租と人頭税と引き換えに信仰と固有の法律を容認したので、比較的安定していた。

 しかし、11世紀初頭にウマイヤ朝が滅亡してイスラーム勢力が分裂すると、キリスト教徒による反抗が激しくなった。この、キリスト教徒によるイベリア半島イスラーム勢力排斥の動きを、レコンキスタ(=「再征服」/別名:国土回復運動)という。

 

 レコンキスタの中でいくつかの王国が成立した。特に、11世紀、半島の中央部に成立したカスティリャ王国レコンキスタの旗頭的存在となり、運動を進めた。一方、12世紀半ばにはカスティリャ王国の南西部が戦争を経て独立し、ポルトガル王国となったポルトガル王国は、13世紀に国内のレコンキスタを完遂、カスティリャ王国とも国境を画定した。これは、現在のポルトガルとスペインの国境に引き継がれ、ヨーロッパ最古の国境線とも言われるそう。

 

 15世紀に入ると、スティリャ王国の王女イザベルと、半島東部のアラゴン王国の王子フェルナンドが婚姻し、スペイン王国となる。婚姻は恋愛結婚と言われ、「カトリック両王」と呼ばれた二人は共同で国を統治してレコンキスタを進めた。そして、1492年、遂にナスル朝グラナダを落とし、イベリア半島からイスラーム勢力を追い出すことに成功したレコンキスタの完成である。

 

 そして、スペインとポルトガルは、ヨーロッパの最西端という地の利を活かし、大航海時代の先陣を切るのだ。

 

2. ドイツとイタリア

 中世のドイツ・・・即ち神聖ローマ帝国は、その名の通り「ローマ」を手に入れて名実ともにカトリックの守護者になろうと考え、幾度もイタリアに攻勢をかけては撃退されるという状態が続いていた。しかし、それが故に国内は不統一、都市や諸侯の動きはバラバラで、長らく皇帝の決まらない「大空位時代」を過ごす。その後、カール4世が「金印勅書」(1356)を出し、7人の諸侯の選挙で皇帝を選出するよう定めた。その結果、王権が強まった英仏とは逆に、権力が分散する状態が続いた

 

 他方、イタリアもまた国内が不統一であった。更に、神聖ローマ帝国の度重なる攻撃に対し、帝国に降る考えの「皇帝党(ギベリン)イタリアを守り通す考えの「教皇党(ゲルフ)とで内紛を抱え、分裂は深刻化していった。ちなみに、『ロミオとジュリエット』は当時のイタリアを舞台とし、両党の紛争に巻き込まれる男女を描く。

 

中世ヨーロッパ篇・終

 

<参考>

山崎圭一(2018)『一度読んだら忘れない世界史の教科書』SBクリエイティブ

東京法令出版 教育事業推進部 『歴史風景館 世界史のミュージアム東京法令出版

・「世界史の窓」 https://www.y-history.net/appendix/wh0603_2-063.html 

         https://www.y-history.net/appendix/wh0603_2-068.html

         https://www.y-history.net/appendix/wh0603_2-066.html