無為庵

読書メモ、アイデアの蔵。

分派とイスラーム勢力の躍進

 

正統カリフ時代

 ムハンマドの死後、正当な手続きを経た「正統カリフ」がイスラムを治める「正統カリフ時代」が4代にわたって続く。アブー=バクルを初代とし、2代目ウマルのときにササン朝を破り、3代目ウスマーンのときには『コーラン』が編纂された。

 

ウマイヤ朝 661~750

 しかし、661年、4代目正統カリフのアリーが何者かに暗殺されると、ウマイヤ家ムアーウィヤがカリフを自称し、代々カリフを世襲すると主張した。これに対し、信徒の多くは実力のあるムアーウィヤに従った(「スンニ派」)。しかし、中にはアリーとその子孫のみを正統とする者もあり、彼らは「シーア派」を形成した。

 ウマイヤ朝は地中海の南側を破竹の勢いで進撃し、711年にはイベリア半島に上陸、トゥール=ポワティエの戦い(732)でフランク王国カール・マルテルに敗れるまでイスラームの勢力圏を拡大した。その版図は実に、ビザンツ帝国フランク王国と地中海を隔てて対峙するような形となった。

 しかし、ウマイヤ朝は百年と続かなかった。というのは、アラブ人(=アラビア半島のアラブ語を話す人々)のみ、人頭税(ジズヤ)地租(ハラージュ)を免除するという優遇政策が、イスラム教の「神の前の平等」に反するとして征服地の信徒が反撥したのである。

 

アッバース朝 750~1258

アッバース朝革命

 こうした中で、反撥する信徒をまとめ上げたのが、アブー=アルアッバースだ。彼はアッバース朝を建て、ウマイヤ朝を滅ぼして「アッバース朝革命」を成功させる。そして、地租(ハラージュ)は帝国内の万民が対象、人頭税(ジズヤ)は異教徒に限り義務づける税制に改めた。民族に関わらずイスラム教徒であれば税が免除されるようになったため、不平等と不満が解消された。

製紙法西伝

 アッバース朝は、建国後まもなくタラス河畔(751)の戦いで唐と接敵しこれを撃破、紙職人を捕らえて首都バグダードに連れ帰ったため、門外不出であった製紙技術が中東にもたらされた

首都バグダード

 首都バグダードをの造営を始めたのは2代目のマンスールだった。バグダードは「平安の都」と呼ばれるアッバース朝繁栄の象徴で、5代目のハールーン=アッラシードのときに人口100万人の大都市となった。これは長安と並ぶ規模で、帝国の全盛期を物語っている。

 

 一方、756年には「後ウマイヤ朝」が成立する。これは、アッバース朝革命から逃れてきたウマイヤ朝の王族の生き残りによる王朝で、イベリア半島コルドバを都とし、カール大帝と争った。

 

 

<参考>

山崎圭一(2018)『一度読んだら忘れない世界史の教科書』SBクリエイティブ

東京法令出版 教育事業推進部(2019)『歴史風景館 世界史のミュージアム』 東京法令出版

・「世界史の窓」 https://www.y-history.net/appendix/wh0101-122.html 

         https://www.y-history.net/appendix/wh0501-008.html