無為庵

読書メモ、アイデアの蔵。

14~16世紀のイスラーム世界 【オスマン帝国】

 

ティムール朝 14世紀の主役 14世紀~1736

 13世紀に栄華を誇ったイル=ハン国の東には、チャガタイ=ハン国があった。チャガタイ=ハン国は13世紀末に内紛の様相を呈し、14世紀には東西に分裂する。

 その内、西チャガタイ=ハン国から独立したのが軍人のティムールで、1370年にティムール朝を開く。スンニ派。ティムールは戦上手で知られ、アンカラの戦い(1402)にて西方で成長しつつあったオスマン帝国を破り、滅亡寸前に追い込んだ。

 ティムール朝は15世紀初めに最盛期を迎え、イスラーム世界の主役となった。その領土は、西はメソポタミアから東はインドの北方で明と接触するほどであった。しかし、明への遠征途上でティムールが死去(1405)。その後暫くは後継者によって権勢を保つが、16世紀初頭に滅亡した。

 それと入れ替わるようにイランではイスマーイール1世によってサファヴィー朝が建国された。サファヴィー朝以来、イランでは現在に至るまでシーア派の国家が続いている

 

オスマン帝国 15~16世紀の覇者 1300頃~1922

 オスマン帝国は1300年頃にオスマン1世によって建国されたトルコ系国家である。発祥は小アジア、十字軍に続くモンゴル軍の侵攻でルーム=セルジューク朝が弱ったことを背景に登場した。当時、小アジアではトルコ系のイスラム戦士が集団をつくり、その中でも有力なものが小さな国家を形成した。オスマン帝国もその一つで、次第にビザンツ帝国を圧迫し、成長していった。

 しかし、15世紀初めにティムール朝小アジアに侵攻してくると、オスマン帝国アンカラの戦いに敗北。バヤジット1世が囚われて帝国は崩壊する。だが、すぐにティムールが明に矛先を向けたことで帝国再建への道を歩みはじめる

 再建を始めたメフメト1世の後、「中興の祖」と謳われたメフメト2世は、1453年にコンスタンティノープルを抜いてビザンツ帝国を滅ぼす。このとき、コンスタンティノープルイスタンブールと改められた。更に、クリミア半島にも進出した。

 その次のセリム1世は、エジプトからレヴァントを支配していたマムルーク朝を滅ぼし(1517)、メッカとメディナを治めたことでイスラーム世界の主役となる

 そして、その次のレイマン1世(位1520~66)のとき、帝国は最盛期を迎える。ハンガリーを手中に収めた上で、フランスと同盟して神聖ローマ帝国に肉薄したのである。ハンガリーの王権を巡り、オスマン帝国軍神聖ローマ皇帝カール5世を攻撃した第1次ウィーン包囲(1529)は失敗に終わったものの、その勢いを物語っている。

 ただ、その後は次第に陰りが見え始める。

 

 

<参考>

山崎圭一(2018)『一度読んだら忘れない世界史の教科書』SBクリエイティブ

東京法令出版 教育事業推進部(2019)『歴史風景館 世界史のミュージアム』 東京法令出版

・「世界史の窓」 https://www.y-history.net/appendix/wh0803-002.html 

         https://www.y-history.net/appendix/wh0803-001.html

         https://www.y-history.net/appendix/wh0803-002.html

         https://www.y-history.net/appendix/wh0803-009_1.html