無為庵

読書メモ、アイデアの蔵。

【世界史外伝】パリ攻囲戦(885~886)

ヴァイキングの侵攻

 ノルマン人の大移動でヴァイキングが西欧に襲来。分裂間もない西フランク王国にもその魔の手は迫り、次第に王国は戦意を失いつつあった。豪族"ロベール豪胆公"は、尚もヴァイキングに立ち向かって幾度もこれを撃退するが、戦場の露と消える。

 人々の希望は潰えたかと思えたそのとき、またもヴァイキングが700隻でセーヌ川を遡上する。パリを略奪する気であった。

 

パリ攻囲戦(885~886)

 そこに立ちはだかった者があった。ロベールの子、若きパリ伯ウードである。

 ウードはセーヌ川に浮かぶシテ島*1ヴァイキングを迎え撃つ。シテ島は壁で街を囲んでいて、北と南にそれぞれ橋が架かっていた。その橋はパリに繋がっている。但し、橋には砦がくっついていて、渡るにはまずそれを突破する必要があった。

 ヴァイキング一行は、北側に上陸して砦を攻める。これに対し、ウード配下の兵やパリ市民は、砦から熱した蝋を浴びせたり弩砲で撃ち抜いたりして反抗する。

 攻めあぐねたヴァイキング達は野営地を設け、兵糧攻めに出るがそれにしては兵力が不十分。その内、攻城塔で砦の一角を崩すことに成功するが、ウード自ら白兵戦を演じ、退けられてしまう。

 

カペー朝の礎に

 そうこうして早10カ月。パリでは疫病も流行って士気が低下していたが、そこに、予て要請していた西フランク国王カール3世の援軍が到着する。

 これでヴァイキング共を蹴散らしてくれる・・・かと思いきや、3世はなんと貢物と引き換えにヴァイキングブルゴーニュ行きを許す。ただ、ウードやパリ市民はこの仕打ちを許さなかった。それで、ヴァイキングは上陸してパリを避けねばならなかった。

 この出来事がウードとロベール家の名声を高め、カロリング家滅亡後、ロベール家から出たユーグ=カペーがカペー朝を開くことになる。

 

参考:世界戦史研究会(2017)『世界史を変えた世紀の決戦 電子版』 学研プラス