概要
アウストラシアの王妃となったブルンヒルドと、ネウストリアのキルペリク王の愛妾フレデグンドとの間で繰り広げられた暗殺劇。その中でブルンヒルドは次第に力を強め、日本で言う摂政のような立場から、フランク王国統一に向けた中央集権体制構築を目指すように。しかし、それは諸侯の反感を買うことになり、怨敵フレデグンドの死後、自らも刑に処されてしまう。そしてそれは、「宮宰」創設のきっかけとなり、後のフランク王国の栄華の礎となった。
クロタールの死
561年、クローヴィスの息子クロタールが死んだ。当時のゲルマン社会では分割相続が普通だったので、フランク王国は再びクロタールの子によって4分割された。
- 長男シギベルト=王国東部「東王国」(アウストラシア)
- 次男グントラム=ブルグンド地方(王国中央から南西部)
- 三男カリベルト=パリを中心とした王国西部
- 四男キルペリク=ベルギー地方(サクソニア)
後にカリベルトが死去したことで領地の再編が行われ、王国西部は概ねキルペリクが治めることになり、「西王国」(ネウストリア)と言われた。
従って、6世紀後半のフランク王国は、東のアウストラシア、西のネウストリア、南のブルグンドに分かれていたのだ。
物語のはじまり ブルンヒルドの婚姻
同じ頃、イベリア半島は西ゴート王国が治めていて、フランク王国と接していた。東ローマ帝国との交流もあって、西ゴート王国は高い文化水準を誇った。従って、王女のブルンヒルド(543頃~613)も教養高い人物であった。
566年、そのブルンヒルドがアウストラシアのシギベルトに嫁いだ。
これが、シギベルトの弟、ネウストリアのキルペリクの嫉妬に繋がる。キルペリクはブルンヒルドの姉ガルスヴィンドとの結婚を実現させたが、「高潔すぎる」という理由で愛妾のフレデグンドと共謀して暗殺してしまう。
フレデグンドとブルンヒルドの暗殺劇
シギベルト暗殺
ブルンヒルドは激怒した。夫シギベルトと共に、姉の仇を討とうというのである。
しかし、アウストラシアとネウストリアの対立の中、シギベルトはフレデグンドの差し金の凶刃に倒れ、ブルンヒルドもまたネウストリアに囚われてしまう。
ただ、キルペリクの息子メロヴィクはブルンヒルドに惚れ、結婚してしまう。シギベルトは両者を引き離して、ブルンヒルドをアウストラシアに送還した。
フランク王国再統一へ野心を見せる
アウストラシアに戻ったブルンヒルドは、息子キルデベルト2世の摂政となって権力を振るった。しかし、このやり方には有力者(後の諸侯)が反撥し、ブルンヒルド自ら武装して説得に当たることもあったが、効果は今一つであった。
そこでブルンヒルドは南のグントラムに接近する。グントラムには跡継ぎがおらず、その死後にはブルグンドをアウストラシアに加えることで合致。5年後の592年のグントラムの死によって、現実となる。
フレデグンドの最期
ネウストリアのフレデグンドは、シギベルトだけでなく王子メロヴィクとその母親をも手にかけた。ブルンヒルドも標的となったが、暗殺は未遂に終わる。
しかし、584年にキルペリクがブルンヒルドによって暗殺されると事態は急変。息子のクロタール(クローヴィスの子と同名のフレデグンドの息子)とネウストリア西部に逃れ、南のグントラムに保護されるも、そのグントラムが死去。更にその5年後には、フレデグンド自身が没する。
ブルンヒルドの最期
摂政として権力を握るが・・・
596年、キルデベルト2世が亡くなると、その子(つまりブルンヒルドの孫)二人がアウストラシアとブルグンドを分割相続する。その間もブルンヒルドは摂政として手綱を握り続けたが、間もなく孫同士が争い始め、アウストラシアを相続したテウデベルトが暗殺されてしまう。
これを好機と捉えたのが、フレデグンドの息子クロタールだった。クロタールはブルンヒルド打倒の兵と挙げると、有力者がこぞって味方して勝利する。国内の有力者は、ブルンヒルドが摂政のような立場で推し進める中央集権体制の樹立に反対だったのである。
ブルンヒルドは、髪と片腕、片足を暴れ馬の尻尾に繋がれて引き裂かれる刑に処された。
クロタール2世
有力者を糾合してブルンヒルドを倒し、フランク王国再統一を成し遂げたクロタールはクロタール2世として君臨した。しかし、ブルンヒルドに有力者が味方しなかったように、専制的な政治には強い反発があった。
そこでつくりだされたのが「宮宰」。行政と財政を司る職である。クロタール2世は、これを以て王と有力者(臣下)との緩衝材としたのである。
そしてこの宮宰が、後のカール=マルテル、ピピン、そしてカール大帝に繋がるのである。
<参考>
関眞興(2020)『戦う女性たちの世界史』日経BP