無為庵

読書メモ、アイデアの蔵。

【世界史外伝】ホプリタイとヘタイロイ

 

古代ギリシアの重装歩兵(ホプリタイ)

 古代ギリシアの兵士と言えば、重装歩兵。大盾と槍で武装し、密集形態"ファランクス"をつくる兵士たちだ。その大盾は"ホプロン"と言い、重装歩兵は当時の言葉で"ホプリタイ"と呼ばれた。

 資料集で見るような重装歩兵やファランクスの登場は、暗黒時代の後のこと。暗黒時代前は、平民の歩兵隊の他に富裕層の戦車隊があって、むしろ戦車隊が主力だったのに対し、暗黒時代後にはポリスが出現、市民が自前で重装歩兵として国を守るようになった。だから、"あまりコストがかからず"、"訓練を要さない"戦い方が求められた。そこで登場したのが、重装歩兵によるファランクスだったというわけだ。

 ただ、初期の重装歩兵は左手に大盾、右手に槍、頭に兜、胴体に胸当て、足に膝当て、しかも防具は青銅製という具合で、歩兵にはなかなか厳しい重量だった。そこで、基本的には軽量化の道を進むことになる。

 諸国が試行錯誤を繰り返す中、マケドニア王国の重装歩兵"ペゼタイロイ"がその決定版と言える地位を占めた。"ペゼタイロイ"は、防具の材質を変えて軽量化した上で、盾をかなり小さくして紐で肩に掛けられるようにし、代わりに両手には長槍をもたせた、リーチの利を活かしたものだった。実は、"盾や防具の軽量化と長槍によるアウトレンジ攻撃"の試みは、マケドニアよりも先にイピクラテスが行っているのだが、マケドニアのそれは長槍が更に長くなって4.5mや5.5mと言われている。

 マケドニアファランクスは、縦16人×横16人の256人による"シンタグマ"を1ユニットとした。その様相はさながらハリネズミである。

 

ファランクスの特徴

  • 正面に対する守備力が非常に高い

 左手に大盾(ホプロン)を構えると、自分から見て盾の右側が自身の体を隠し、左側は体の外に余る。但し、自身の右半身を完全に隠すことはできないため、右前方からの攻撃は防げない

 そこで、兵士を「肩と肩が触れ合うほど」の間隔で横一列に並べると、盾の左側(余る部分)で自分の左隣の兵士の右半身を守ることができる。この兵士の列を通常4の倍数だけ並べたのがファランクスである。だから、ファランクスを正面から見ると、まさに"盾の壁"に見えるわけだ。

 ちなみに、ファランクスを後ろから見たとき、隊列の右端に来る兵士は右側を守ってくれる人がいない。だから、ファランクスの右翼には精鋭部隊が配置されるのが定石だった。

 

  • 側面攻撃に対してはクソ雑魚

 その一方で、ファランクスの弱点はなんといっても側面攻撃である。初期のファランクスは正面方向に"盾の壁"を展開できる一方で、装備は重いし隊列を乱しては元も子もないので機動力が極めて低い。しかも、初期の兜は耳がすっぽり覆われるので、命令が聞こえにくい。つまり、ファランクスを展開した後に、高度な戦術を展開することは難しかった。

 そこで、ファランクスは横長になった。自陣の横幅が敵陣のそれよりも短くならないようにすれば、正面からぶつかる限り横に回り込まれる虞はないからである。ただ、縦の長さ(深さ)が不足することもまた危険である。なぜなら、ファランクスでは兵士が斃れたら、その後ろの兵士がすかさず前に出て隙間を埋めるので、縦に短いということは耐久力が減るということでもあったからだ。

 

ホプリタイの活躍した戦い 

ペルシア戦争――マラトンの戦い(前490)

 ペルシア戦争2回目の出征で、アテネ近くの"マラトンの浜"に上陸したアケメネス朝ペルシア軍(歩兵20000+騎兵5000)をアテネ軍(重装歩兵9600:内600は友軍)が迎え撃った戦い。

アテネ軍とペルシア軍との間には2倍の兵力差があった。そこで、アテネ軍は左右翼を8列横隊、その間を4列横隊としてペルシア軍と同じだけの戦列(横幅)を維持する布陣をとる。

アテネ方前進。ペルシア弓兵の射程内に入り次第、重装歩兵たちに"走る"よう命じた。この戦法が"マラソン"の語源とも言われる。

③白兵戦ではアテネ軍の方が強かったので、ペルシアの左右翼は敗走した。ただ、ペルシア軍は陣の中間に精鋭を置く伝統があったため、アテネ軍の中央=4列横隊の部分は押され、後退していた。

アテネ軍左右翼がそれぞれ向かい合い、ペルシア軍を挟撃。見事、兵力差を覆す勝利を収めた。

 

マケドニアファランクスとヘタイロイ――カイロネイアの戦い(前339)

  マケドニアのフィリッポス2世とその子アレキサンダーギリシアに進撃、アテネ・テーベ連合軍を破った戦い。

 

布陣(ギリシア同盟軍)

左端にカイロネイアのアクロポリス(城山)、右端にケピッソス川が来るよう、横長に布陣。横槍を封じた堅い守りである。左翼にアテネ軍、右翼にテーベ軍、中央にその他同盟軍を配置した。

 

布陣(マケドニア軍)

中央にファランクス、右翼にフィリッポス2世麾下のヒュパスピスタイ(ファランクス援護用の軽装兵)、左翼にアレクサンダー麾下の重装騎兵(ヘタイロイ)と軽装歩兵を配置する。但し、横一直線に並ぶのではなく、フィリッポス2世の陣が前に出て、アレクサンダーの陣が下がる形の斜線陣である。

 

経過

①フィリッポス2世(右翼)が前進。敵方のファランクスに当たると後退した。

アテネファランクス(左翼)はフィリッポス2世の軍を追いかけて前進する。

アテネ軍(左翼)が前に出た分、テーベ軍(左翼)との間に隙間ができる。

④アレクサンダー出撃。ヘタイロイを率いて、先程出来た間隙をすり抜けてテーベ軍の左斜め後方に、軽装歩兵を右斜め後方に回り込み包囲する。

⑤同じ頃、フィリッポス2世と中央部のマケドニアファランクスも前進してアテネ軍と真っ向勝負。アウトレンジ攻撃で、アテネ軍は手も足も出ず潰走する。

⑥アレクサンダーのヘタイロイに包囲されたテーベ軍も崩壊する。

マケドニア勝利。

 

 

これを知ると、"王の軍勢"の見方が変わるかも。

 

<参考>

・市川定春と怪兵隊(2011)『Truth In Fantasy 幻の戦士たち』新紀元社