無為庵

読書メモ、アイデアの蔵。

19世紀のイタリア——南北両方からの統一

 

19世紀、ドイツに続いてイタリアでも統一の動きが起こる。

 

二つの動き

イタリア統一は、北から南進する「サルデーニャ王国」と南から北進するガリバルディの二つの動きによって成し遂げられた。

 

まず19世紀半ば、サルデーニャ国王にヴィットーリオ=エマヌエーレ2世、首相に自由主義者カヴールが就任すると、クリミア戦争に参加して国際的な地位を向上させた。更に、フランスのナポレオン3世の協力を取りつけ、北部・中部イタリアを統一した(イタリア統一戦争:1859)。但し、サルデーニャ王国の強大化を恐れたフランスが単独講和に踏み切ったため、イタリア統一は頓挫する。

 

他方、翌1860年にはガリバルディ義勇兵を率いて「両シチリア王国」(スペイン=ブルボン朝が統治するシチリア王国ナポリ王国)を征服し、南部イタリアを統一した。

 

南下するサルデーニャ王国と北上するガリバルディ、両者の衝突は必至と思われた。しかし、ガリバルディサルデーニャ王国に領地を献上するという英断により、エマヌエーレ2世を国王とするイタリア王国(1861~)が成立。イタリアは念願の統一を果たしたのである。

 

但し、その実態は、住民投票によって両シチリアサルデーニャへの併合が決定され、ガリバルディはローマ侵攻を諦めてそれに従っただけだと言われている。

 

その後、イタリア王国プロイセンオーストリア戦争(1866)や普仏戦争(1870)に参戦し、それぞれヴェネツィアローマ教皇領を獲得、領土を拡大した。

 

未回収のイタリア

さて、イタリアは一旦の統一を見たが、トリエステなど北部の一部はオーストリア=ハンガリー帝国支配下に残った。そうした地域は「未回収のイタリア」と呼ばれ、後に戦争の火種となる。

 

~参考~

山崎圭一(2018)『一度読んだら忘れない世界史の教科書』SBクリエイティブ

東京法令出版 教育事業推進部(2019)『歴史風景館 世界史のミュージアム』 東京法令出版

・世界史の窓 https://www.y-history.net/appendix/wh0601-113.html

  

 

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