無為庵

読書メモ、アイデアの蔵。

一炊の夢 叛逆の夢

おじさんには今、二つの目標がある。

 

一つは、この芥のような人生に抗うこと。

一つは、「大人というのも悪いものじゃない」と言えるようになること。

 

情けないことに、自分は何年か前まで"自分の意思"を尊重できなかった。

成長の過程で、自分の思いは抑圧されるべきことと思い込んで生きてきたのだ。

 

でも、就活の失敗がそれを変えるきっかけになった。

"失敗"とは言ったけど、厳密には"戦う前提さえ満たしていなかった"という方が正しい。なにせ、就活の核となるのは「○○になりたい」という"自分の意思"なのだから。自分の意思を主張することもできなければ、自信なんてものもないのが当たり前だった幼い日の自分は、「良い学校に入れば、自分の望む職業に就けるから」という、とても曖昧で確実性に乏しい讒言に唯々諾々と従い、"若い力"とでも言うべき生命力を空費してしまった。結局、その「良い学校」から挑戦できる就職先に、「自分の望む職業」なんてなかった訳だけど。で、年齢の割には精も根も尽きた"おじさん"が、胸を一突きする勇気もなく生き恥を曝しているのだ。

 

だが、人間万事塞翁が馬とはよく言ったもので、その"失敗"が"自分の意思"を尊重しない生き方――いや、既存の常識と言うべき観念を悉くぶっ壊してくれた。

望む職に就けると言われたから、したくもねぇ努力をしてきたのに、遊びほうけて落伍しないように自分に鞭打ってきたのに、話が違うじゃねぇか。はっ、結局は自分の理想像やら勝手な望みやらを他人に押しつけて、思い通りに動いているのを見て満足してるだけじゃねぇか。クソ偽善者が。もうテメェの言いなりになんざならねぇ。本当に相手のためになるか考えもせず、自己満足に他人の人生をつきあわせた罪を背負って死んでいけ、という具合に。

それはもう、あらゆるしがらみから解放された気分だった。"自分の意思"に真っ向から向き合った瞬間だった。

 

 

――しかし、それだけではまだ自分の人生を生きたとは言えない。どうすれば良いのか・・・と考えた末、至ったのが「人生に抗う」ことだった。

では、「人生に抗う」とはどういうことなのか。

 

自分の周りには"賢い人"が何人もいる。彼らを観察していると、共通点が見えてきた。それは、"自分の欲求に正直で、しかも一度やりたいと思ったら次の瞬間には目標から逆算した計画を立てていて、着々とそれを進められること"だ。

 

おじさんは思う。これこそ、"凡人"と"凡人でない人"とを隔てる壁ではないかと。

凡人は、何か思い立つことがあっても何かと理由をつけて、結局何もしないで終わる。時間がないからできないというのは、ただ面倒なだけだ。自分に才能がないというのは、努力したくないだけだ。簡単に栄光を掴みたいだけだ。

たとえ一日に三十分でも十分でも良い。回り道をしたって良い。ただその途方もないが着実な行動をとらないのが凡人なのだと思う。

 

おじさんとて、周りの"賢い人"になれるとは思っていない。彼らは、優れた情報処理能力を基にした、膨大な知識、世の中を俯瞰する目をもっている。正直、デフォルトのスペックから同じとは思えないし、日々広がっていく差を埋めるのは最早不可能だろう。

 

ただ、無理と諦めつつも、"凡人を超えようとした人"ではありたいのだ。

これは、"凡人"であることに抗ったという事実を積み重ねるだけの自己満足でしかない所業。でもそれでいい。死ぬときは独りだ。たとえ生前に誉れを遺そうと、死んでしまえば自分が讃えられる様を見ることもなかろう。なれば、名誉も外聞も気にせず、今際の時に満足だと思える人生を歩むべきではないか。

 

 

"凡人を越えようとした凡人"になることこそ、自分にとって「人生に抗う」ことだ。そしてそれが為されたとき、自分は屹度、「大人というのも悪いものじゃない」と言えることだろう。

自分の人生を自らの意思で動かした。自分がいかに非力で無価値であれど、やられっぱなしでは済まさなかった、せめて抗ってみせた。

それが、自らの行動とその結果について一切の責任を果たす「大人」の証なれば。