無為庵

読書メモ、アイデアの蔵。

ゲームで解る心の妙――「死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり」

日常には"心の妙"を識る機会に溢れている。

 

ゲームもまたその一つだと思う。

しかし、簡単なRPGでは駄目だ。フロムが得意とするような、シビアな判定に只管合わせ続ける"死にゲー"の類でなければならぬ。

 

その中でも、個人的には「隻狼」が最も"適している"のではないか。

「隻狼」の基本的な戦い方は、相手と丁々発止の斬り合いを演じ"続ける"こと。特に、所謂ジャストガードにあたる「弾き」は、ワンアクションで「体幹ゲージ」を削ることができる。勿論、攻撃を中てて相手のHPを0にする方法でも良いのだが、この「体幹ゲージ」を0にすれば残りHPに関わらず「忍殺」する(=止めを刺す)ことができるのは、「隻狼」ならではと言える。ダークソウルシリーズ等とは異なり、只管"隙を突いてHPを削っていく"だけではなく、"積極的に打ち合ってHPを削り切る前に止めを刺す"という戦い方ができるのである。

 

そして、これこそが「隻狼」が"適している"と考える所以である。

先ほど簡単に「弾き」を説明したが、少しでもタイミングが早ければただの防御となり、逆にこちらの「体幹」にダメージが入る。「弾き」が戦いの基本である以上、「仁王」などのジャストガードと比べれば大分判定は甘いが、それでも相手の動きをきちんと観る必要があるのだ。

更に、敵の攻撃は全て防げるわけではない。攻撃の出だしに「危」のマークが表示される攻撃は、防御することができないのである。具体的には、

  • "掴み"系(→タイミングよく躱すか相手の攻撃範囲外に出るしかない)
  • "突き"系(→防御不能だが弾ける。タイミングよく相手方向に回避すれば、専用のモーションが出て「弾き」よりも大きく体幹を削れる)
  • "下段"攻撃(→防御も「弾き」も不能。タイミングよく跳べば避けられ、更にそのまま「足蹴り」すれば大きく体幹を削れる)

がある。

「隻狼」の戦闘では、このような多彩な攻撃を瞬時に見分け、適切な対処を施すことが求められる。フロムゲーだから、相手の一撃は重く、こちらの一撃は軽い。まさに「迷えば、敗れる」である。

 

従って、相手の攻撃モーションを前に慌てず怯えず、きちんと見切らねばならない。そしてそのためには、頭でいちいち考えるのではなく、もう"腹で反応する"くらいの慣れとそれを可能にする高い集中――一言で言えば、"明鏡止水の心"が必要だ(と思う)。

 

実は、私がここで"明鏡止水の心"とか呼んだものは、実際の立ち合い(勝負)で必要とされたものだ。つまり、

  • 最早"自動"とさえ言えるほど、間髪容れずに反応できるまでに高められた剣技
  • 無念無想(無心)の心――"死"や"自分"という人間の最も根本的な概念からさえも解放された自由な心

である。

 

かつて、戦神と謳われた上杉謙信は「死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり」と言ったらしい。それは屹度「死」を意識することで力を発揮できなくなる理を熟知していて、死への恐怖さえ忘却して無念無想の域に達することこそ大事を為す路だと伝えたかったんだと思う。それはまさしく"明鏡止水の心"である。

 

そして、「隻狼」は"技術面"(前者)を主人公・(隻)狼、"心法"(後者)をプレイヤーが担うゲームと捉えられるのではないだろうか。

だからこそ、「隻狼」には心の在り方が如実に表れるのだ。

私自身、一心が倒せずに一度「隻狼」を投げたことがあった。そのときは、雑念が多く、何かの拍子に態勢が崩れたり相手の残りHPを意識したりすると、守りに入ってミスをするようなことも割と頻繁にあった。

しかし、暫く間を置いてから、機械をお手本に、心を無にするつもりで初めからやり直すと、「あれ?一心ってこんなもんだっけ?」てな具合に倒してしまった経験がある。

 

勿論、ゲームで経験できる無心状態なんて、たかが知れている。千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とする者が命のやりとりをする場面でのそれと、所詮は画面の中のそれとでは、雲泥の差がある。しかし、本当の"無心"が"ランクEX"なら"ランクE-"程度の経験をすることはできるのではなかろうか。そしてそれは、決して無意味なことではないと思う。

 

 

――それを説明するため、少し昔話に付き合ってほしい。

 

高校時代、弓道部に属していたときの話だ。

毎年恒例の試合で、一度に4本、それが5回戦の計20射を引く選手の一人として出場したのだが、全然調子が出ない。相手チームとは差が開くばかりだ。それで、3回戦あたりに「もうどうとでもなれ」と、ある意味自暴自棄になってしまった。

でも、それが却って良かったらしい。

身体の力の流れがそれまでより滑らかになって、矢がよく飛ぶ。中る。

どうも、あれこれ考えて守りに入っていた心が大分澄んで、無駄な力みがなくなったようだった。

結局、試合には負けたのだけど、最後の2回で一気に巻き返し、最後の方は珍しく皆中(4本全てを中てること)も出た。気づけばあと1本多く中てていれば、引き分けに持ち込めるところまでいったのだ――。

 

これは、私が心の澄み渡った明鏡止水・無心の域に近い心境であればあるほど、人のパフォーマンスは上がるという"心の妙"を初めて意識した経験だった。無論、本当の"無心"の足元にも及ばぬ程度のものではあったけど、それでも十分価値のある出来事だったと思う。

 

そして、学校の部活のように、一つのことに多大な時間を割いてやっと分かる"心の妙"を、「隻狼」ではものの何十時間かで経験しうるのである。これが、"決して無意味なことではない"と言った所以だ。

ゲームは、万人共通の"心の妙"に触れることのできる可能性を秘めているのである