無為庵

読書メモ、アイデアの蔵。

19世紀のアメリカ——南北の対立

 ◆前回

 

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イギリスによる重税の前に団結した13植民地は、アメリカ独立戦争(1775~1783)を経、"アメリカ"として独立する。その後、彼らは大陸を西に向かって進出し続けるが、次第に経済的な事情を背景にした対立が表面化し、遂には内戦に発展する。

 

 

19世紀――「明白な天命」(Manifest Destiny)

独立戦争の後、アメリカは西に向かって領域を拡大していった。その方法は併合・買収・戦争による割譲と様々で、特にナポレオン戦争の背後で行われた米英戦争(1812~14)*1は、アメリカの経済的な自立やナショナリズムの芽生えにつながった。

  • フランスからルイジアナを買収(1803)
  • 米英戦争(1812~14)→西漸運動活発化
  • スペインからフロリダを買収(1819)
  • モンロー宣言(1823:欧州のいずれの国にも肩入れしないという米国の"孤立主義"を、時のモンロー大統領が明言した)
  • 先住民強制移住法(1830:ジャクソン大統領下で、先住民をミシシッピ川以西の荒れ地に強制移住させることを定めた法律)
  • 「涙の旅路」(1838:先住民族のチェロキー族が強制移住先へと向かわせられた旅程のこと。4人に1人が道半ばにして斃れるという過酷なものであった)
  • メキシコから独立した(1836)テキサス共和国テキサス州として併合(1845)
  • イギリスとの協定でオレゴンを獲得(1846)
  • メキシコからカリフォルニア・ニューメキシコを獲得(1848)

 

南北の対立

アメリカが先住民を駆逐して「フロンティア」(=アメリカのと未開拓地との境界)を西へ西へと進める一方、内部では南北の対立が激しくなっていった。その主な対立軸は、「奴隷」と「貿易」であった。

まず、北部の州は商工業が主体であり、教育の施された労働力としての「市民」を欲した。従って、奴隷を解放して労働力として使うと共に、欧州から安価な製品が入ってきて自分たちがやられないよう保護貿易を主張した

それに対し南部の州は綿花農業が主体であり、奴隷をこれまで通り農作に従事させたかった。だから、奴隷制を維持すると共に、綿花をイギリスの資本家に売るべく自由貿易を求めたのだ。

 

こうした南北対立は、南北戦争(1861~65)として遂に内戦へと発展する。

 

南北戦争(1861~65)

北部の州から奴隷制に反対する共和党が興り、第16代大統領としてリンカーンを推挙すると、南部諸州は離反してジェファソン=デヴィスを大統領とする「アメリカ連合国」の建国を宣言した。ここに、アメリカは南北に分裂し、戦いの火蓋が切って落とされたのだ。

当初、アメリカ連合国方が優勢だったが、リンカーン奴隷解放宣言(1863)で北部の正当性を主張したことで国際社会が味方につき、奴隷制に依存する南部は次第に追い詰められていった。挙句には、ゲディスバーグの戦い(1863)で北部が決定的勝利を収め、南北戦争は決着する。このとき、リンカーンは「人民の、人民による、人民のための政治」を訴え、戦争の目的が民主主義国家を守ることにあったことをアピールした。

 

尚、戦後、宣言通りに奴隷たちは解放された。しかし、与えられたのは自由だけで土地や仕事は奴隷自身が得る必要があり、結局、以前の主の下で小作人となるしかなかった

 

~参考~

山崎圭一(2018)『一度読んだら忘れない世界史の教科書』SBクリエイティブ

東京法令出版 教育事業推進部(2019)『歴史風景館 世界史のミュージアム』 東京法令出版

・世界史の窓 アメリカ=イギリス戦争/米英戦争

       インディアン

       インディアン強制移住法

 

*1:ナポレオンの大陸封鎖令と、それへの反撃としてのイギリスによる対仏貿易禁止とにより、アメリカは貿易をするのに英仏どちらかを敵に回さねばならなくなった。欧州各国と中立を保ちたいアメリカは当初苦慮したが、遂にイギリスに宣戦する。戦場は専らアメリカ国内で、首都・ワシントンが焼かれるなど苦戦したが、ナポレオン戦争終結に伴って講和した