無為庵

読書メモ、アイデアの蔵。

「要するに、自分から負け犬にならないことですね。」(宗道臣)

要するに、自分から負け犬にならないことですね。

ニコッと笑えるような、そういう人生を自分でつくってくれ。

おじさんはこれまで、自信について色々調べてきたんだけど、その要点を一言で表した珠玉の名言。この二行を目にしたとき、「あぁ、これだ」と思ったのを今でも鮮明に覚えている。

 

さて、この言葉を残したのは、少林寺拳法創始者宗道臣氏。1975年の指導者講習会での言葉*1だという。

「自分から負け犬にならない」というのは、自分の境遇を嘆くばかりで何もしようとしないことを言ってるんだと思う。

それは、"自分は無力だ"という認識から生ずる。おじさんも少し前までそうだったんだけど、"自分を大切にして生きる"ことを否定され、"他人のために生きる"ことが常識として定着してしまうと、"他人の人生を生きる"羽目になってしまう。

要は、他人からの評価が自信の拠り所で、他人を喜ばせたり、他人に忖度したりすることが当たり前という生き方だ(これが理解できない人は、"自分を大切にできている"から問題ない)。

で、他人の人生を生きていると、他人からの評価が自信を支える状態にあって、自分の本音に基づく行動に自信がもてない。あるいは、何かしようにも人の目を過剰に気にしてしまう。それが、「自分なんて無力だ」という僻みを含んだ嘆きになる。「自分はこうしたい。だけど、自信がない。だから他人の言うことを聞く。そうすれば、失敗しても自分のせいじゃない。自分には能力がないんだから仕方ない」と。

そこには、"自分の人生の舵取りは自分がする"という発想がない。全て人任せ。他人が悪い、自分の境遇が悪い。

まぁ、確かに、自分はどちらかというと被害者側なのかもしれない。物心ついた俺に父親が与えたのは、恐喝と暴力――人への絶大な不信感だった。それで、自分の本音なんか言えなくなったのに、母親はそんなこと気づかずに自分の理想像を俺に押しつけた。それで、俺は自分の本音を殺し尽くして、親を喜ばせることが正しいと信じて生きる羽目になった。当時の自分が何をできたというのか。

これが、「自分から負け犬になる」状態だ。過去に囚われて人生の舵取り役を投げた状態だ。

 

しかし、そうした"甘き闇"は振り払って乗り越えねばならぬ。"自分の人生は自分で変える他ない"、"自分は自らの言動とその結果に一切の責任をもつ"と覚悟を決め、"此処でうだうだ言ってねぇで前に進め!"と少しずつ前進するのだ。

それは、とてもエネルギーが必要なことだ。しかし、それを果たした秋(トキ)、「自分から負け犬にならない」自分が君臨する。

 

そして、"自らの言動とその結果に一切の責任をもつ"人生に満足感を得られたとき、屹度自分は「ニコッと笑える」だろう。「そういう人生を自分でつく」るのである。

 

恐らく道臣氏はそういうことが言いたかったんじゃないかな。

*1:引用元:『会報少林寺拳法 2020年秋号』(2020)一般財団法人少林寺拳法連盟