無為庵

読書メモ、アイデアの蔵。

根拠を示せない――私が就活に失敗した理由

やりたいことを、やらねばならない。

 

願望と義務が並立する、妙な一文を書いた。

しかし、これは自分の大失敗から学んだ、人によっては当たり前かもしれない、一つの教訓である。

 

最初にその心を言おう。

就活では、「自分は何をしたいのか、どうしてそれがやりたいのか」、問われることになる。技術ではなく人を雇う日本社会では、そういった熱意は特に重要だ。

そして、その主張を補強するために、「自分が今まで、どういうことをしてきたか」まで力説しなければならない。きちんと過去の具体的な行動を示して、自分が本気である証拠を示さないと、勝ち抜けないのだ。

しかし、今まで自分を大切にできず、"誰か"や常識のために生きてきた場合、過去の証拠を示すことができない可能性が高まる。自分の人生の主導権を、他人の手に委ねているのだから。

大人というのは都合のいいもので、義務教育の間は、大人の言うことをきく"優等生"が賞賛されるが、社会に出る段になると、「そんな無能は不要」と断罪されるのである。

要するに、自分のために生きないと、結局自分のためにならないのだ。

 

 

 

さて、あれは、一昨年の夏の夕暮れだったのを憶えている。

私は、その日の講義が終わって、ぞろぞろと大学を後にする学生の群れに逆らって、構内の建物に入った。

名前は何だったか。「就活がうまくいっていない人のための就活講座」的なやつだったはず――それに、参加するためだった。

 

さて、そこでは、就活の実態を赤裸々に語った"とある本"の著者が現れ、就活の悩みや疑問への質疑応答の場が設けられた。著者は、"とある本"の筆致と合致するような、誠実な人物だった。こうした大人と話すのは、いつぶりだろうか。随分と久しぶりに感じる。

 

その講座が終わった後、暫くその人は残って質問を続けて受ける、というので、私は奮起して悩みを語った。

「過去の経験が活きないんです」

 

中学生のときは生徒会と部活動の部長、高校では部活の主将を務めたが、そのいずれもが周りからの推薦だった。つまり、ちょっと聞いただけではリーダーシップがありそうだが、その実、統率力があるわけではないし、そういう立場にはむしろいたくない。

当時は「周りに必要とされたから」と思っていたが、今思えば、「他人の要望に応える以外、生き方を知らなかったからそうした」のだ。

 

他方、自覚している特長は、一つのことを追究すること。何かをじっくり深く考えること。端的に言えば、オタク肌。

中学生のときから、戦国時代が好きだった。

高校に入って、弓道部に入りつつ、地域の剣術サークルに通ったのは、その一環だった。

高校三年のときには、戦国時代に『武士道』を絡めた論文を書いた。論文といっても、大学生のそれとは違って、好きなことを書いただけのものではあったけど。今読み返すと、論理や根拠が脆弱で稚拙としか言いようがないが、しかし、確かに"楽しんでいる"ことがひしと伝わってくる文章だ。ああ、楽しかったとも。

 

でも、その道を進むことはしなかった。

そも、学生は「勉強」(というか成績をとり続けること)が本分であり、興味や趣味は陰で細々とやるというのが、当時の自分の常識だった。

といっても、学校が終わり、主将として部活をまわし、帰って夕飯を食べたら、宿題やら翌日の小テストのための勉強やらで一日は終了。滅茶苦茶眠いけど、無理矢理にでも起きて深夜に1時間ゲームをやって、"抵抗"としていた。お蔭で毎日寝不足。でも、授業はきちんとノートをとった。期末試験間際では、私のノートがクラスを救っていたのだ。

つまり、心休まる暇も、やりたいことをやる間もなかった。いや、やりたいことがあるのなら、「勉強」なんてそこそこにして、時間をつくれば良かったのだが、不自由に安住したかつての自分には不可能だったろう。

 

 

自分を大切にすることを知らなかった。

自分の人生を、自分で動かすことを恐れた。

そのツケが、今になって帰ってきた。

 

過去の経験や出来事が、自分の特性や目指すところに繋がらない。

適性は高いが、文系ではかなり選択肢の限られる研究系の職業。そちらへの道は遠ざけてしまった。

文系の仕事では聞こえの良い「リーダーシップ」。確かにリーダー経験はあるが、全く得意な役でもなければ、好きなことでもない。むしろ、嫌い。

 

誤った自己犠牲を美徳とした自分には、自分のための蓄えがなかった。

ふん。自己犠牲でさえ、自分が望むから為すのだよ。「他人のため」?そんなもん、傲慢以外の何物でもねえよ。

 

 

だから、やりたいことを、やらねばならない。

 

 

結局、"とある本"の著者は、親身に相談にのってくれたが、打開策を出すには至らなかった。さもありなん。これは、他人がどうこうしてやれるものではないのだから。